ジャンコロジー の世界               2005年8月FirstUP

1988年(昭和63年)〜1990年(平成2年)までに挾間町アマチュア無線クラブの会報に全13回に渡り投稿した記事をここに集めてみました。ジャンコロジーの精神が垣間見られる”自叙伝”です。

当時は個人向けに何とかワープロが購入できる時代になり、パソコンでワープロができるようになるはしりの頃ですので当然会報も白黒コピーが精一杯でした。挿入されている「絵」も手書きでした。ここではできるだけカラー化したり文章も若干リニューアルしています。


アマチュア無線特有の言い回し、仲間内だけしか解らないような部分、理解しづらい表現もあるかと思います。ご了承下さい。
一般にはまるで判らないと思われるある程度の単語には脚注を入れておきました。
段組風にしています。文字を「小」にすると全体的にかっこよくなりますが「小」では読み難い部分もあるかと・・・

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         -----prologue------

                    YRUNEWS No11(1988年10月発行)への投稿記事から

A Long Tlme Ago・・・・

遠い昔、はるか彼方の銀河系での物語り思い起せば20数年前、私はまだ可愛い?小学生でした。当時中学生の兄と鉱石(ゲルマ)ラジオを組み立て、中波のラジオ放送が蚊の鳴く様な音量で聞こえてきた時にはとびあがって喜んでいたのを覚えています。

これが受信機自作の第1号だったみたいです。兄が高校生になって友人にHAMがいたことでアマチュア無線の事を何度か聞く事がありました。遠くの外国の人と自由に話せることができたらどんなにいいだろうナとは思っていましたが、それは雲の上のでき事でした。

昭和30年代も後半、田舎町の砂利道には時々馬車も通り、ミゼット(軽の可愛い3輪車です)も走っていたころですが、日本は急激な高度成長を続け、東京オリンピックでは近代的な日本を諸外国に見せつけたころでもありました。

それでも我家は貧乏で(今でも相変らずですが)、とてもお隣りの熊本までHAMの受験に出かけるなんてとてもできません。それはちょっとした旅行でした。
7MHz辺りでアマチュア無線が聞けるということで5球スーパーを短波帯に切替えて聞いていましたが、モガモガ言っているだけで何か話しているのは分りましたが内容を聞く事はできませんでした。それがSSBであったなんて当時は知る由もありません。


中学3年のころ、「技術・家庭科」(男子は技術科、女子は家庭科で結局男子は工作の時間です)の時間に再生式の3球ラジオを組立てる機会がありました。

再生式というのは360度クルクル回る小さなバリコンが検波段にくっついていて、セットを発振ギリギリまでもっていき、最高感度のところで聞く・・・というちょっとした操作のいるシロモノです。小学生のころにはまだ一般家庭にもセットが残っており、これで放送を聞いていた事を覚えています。

他の皆んなは真面目にラジオセットを組立てていましたが、ちょうど配線図の裏に同じ球を使った3球アンプの回路図も載っていたので、どういう訳か私一人はこのアンプを組立てていました。クリスタルマイクを買ってきて教室の中で「毎度おさわがせいたしております」等と皆でさわいでいました。(ただこの頃、宮崎の片田舎でチリ紙交換の声を聞いた覚えはありませんが)

この頃からでしょうか?目立つ事をやりたがる性格が出始めたのは……hi  でもそのあとすぐに先のゲルマラジオの検波部分を作ってこのアンプにつなぎ、一応立派にスピーカから音の出るラジオには仕立てました。この時は可変Lではなくてちゃんとバリコンを使いました。

限りなく続く私のOdessyの幕明けです。



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      ----- episode 1 -----

                       YRUNEWS No012  1988年11月発行 投稿

昭和40年代前半。私が中学から高校生の頃です。

社会情勢はと言うと、そうですね、学園紛争が全国的に大はやり? という時代だったかと思います。血気盛んな連中は、卒業式とか何かの機会がある度に壇上に飛び乗って雄弁をふるっていましたし、TV、新聞は毎日のように学生と機動隊との衝突のニュースを繰り返していました。

私もまだ純真で世の大人達のやる事が汚く見えていた頃ですからJR6,JS6エリア*1の基地問題とか何かで親と本気で言いあっていた事を思い出します。

ベトナム戦争も真っ只中。ベトコン、北爆、メコンデルタ、トンキン湾、ハノイ、ソンミ村等々、毎日聞かされていた言葉ですのでいつのまにか覚えてしまいました。たぷん一生忘れられない言葉になりそうです。

それでもその頃は夢多き少年。仲の良い友人と宇宙の事やいろんなバカげた事を話したり、いろんな事をしてとび回っていました。アマチュア無線の事も忘れていた訳ではないのですが高校生になるとクラブ活動、女の子を追っかける事、もろもろに忙しくて?まだ具体的にどうしようという段階ではありませんでした。
学校は工業系だったので授業中コックリ、コックリしていても電子回路、電気通信等の初歩程度は教えてもらえる環境にはありました。


授業で5球スーパー受信機の組立て実習がありました。配線が終わったらチェックもそこそこに電源ON。すぐには聞こえませんでしたが、先生が回ってきてドライバー1本で「単一調整」とやらをチョコ、チョコとしたらガンガン鳴り出します。

あっけない一幕でした。この程度なら作れるナと思ってすぐにボロ屋(正式には○○金属商)に駆け込みその辺にころがっている5球スーバーをただ同然で買ってきます。ちなみに最近球式のラジオをそのへんの何でも屋から買ったら壊れて部品もあまり取れそうもないのが2000円でした。

雨ざらしで置いてあったものですが一応電源を入れてみました。ところがまだ立派に音が出てきます。さっそく前面バネルとスピーカーボックスを作って立派なHi-Fiラジオができ上りました。自作するという機会は逃がしましたが・・・

このセットには今はなつかしい同調指示管(マジックアイ)という球がついていました。球の頭の部分に円形の蛍光面が付いていて、同調の具合により扇形にきれいな緑色を放ちます。今でいう液晶、LEDのレベル(S)メータというところでしょうか。

昭和46年春。いよいよ社会人1年生としてスタートする時期がやってきました。その頃のコマーシャルセンター*2のキャッチフレーズです。「原子力からICまで・・・」---電子部品・材料の分野ではICが登場してきた頃で、3本足のマジシャン、トランジスタ全盛時代の頃でしょうか。


注1 JR6・・・沖縄のコールサインです。沖縄が日本に返還されたのは戦後ずっと遅く1972年(昭和47年)のことです。
注2 コマーシャルセンター  アマチュア無線愛好家の間ではQ符号とか結構業界用語みたいな言葉が使われることがあります。                   無線愛好家の幅も広く、なかには誤解して訳のわからない新語・造語を連発する方もおられるようで。これもその中の言葉のひとつです。職場のことを指しているようです。


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     ----- episode 2 -----
                            YRUNEWS 013 1989年1月発行 投稿 

昭和46年春。フレッシュサラリーマン1年生。

親のスネをかじる事もなくなり(今でも時々メシをクワセてもらいに帰ってはいますが)一応、経済的には自立できるようになったので、さー、これで自分のやりたい事ができるぞーって感じです。

早速次の年には電話級の受験に向かいました。国電で2つ先の駅から歩いて5分。試験場は中学生の頃にお隣の県まで受験に行くことを夢見ていた頃とは大違い、いとも筒単に到着です。

法規以外は学生の頃に習っていたことばかりだったので特に問題なく無事合格。アマチュア無線技士としての第一歩が始まりました。普通ならさあ開局!といくところですが大きな問題にぶち当たってしまいました・・・・

さてこの当時の合格通知表(下▼)と従免(右)です。初級アマでもこの頃はまだ郵政大臣の名前になっていたんですヨ。

JA、2ケタコール、あるいはもっと先人の受験、開局の苦労とは格段に差があり、筒単にとれるようになったとはいえ、免許証を見てはニヤッとしてとても嬉しかったものです。


▲当時の無線従事者免許状 「従免」と呼ばれます。
実際に無線局を運用するには「局免」と呼ばれる無線局の免許が必要です。




話は元に戻りますが、自分の親を見ていたら、生活の苦労はよく解りましたが、働き始めたら勉強などしなくていいものと昔からすっかり思い込んでいました。ところがどっこい実際はそうは問屋がおろしてはくれませんでした。
職場が職場だっただけに高卒以外の回りの人は かの有名大学の工学部、それに大学院を出てきたような先輩がウジャウジャ。我々は会社の学校を受験する様にケッをひっぱたかれます。

さー、人生をエンジョイしようかー、と田舎から出てきた私にとってそれからは地獄です。まさか勉強のやり直しで浪人と同等の生活を強いられ、夜中に「OO受験講座」とか何とかのラジオを聞くはめになるとは夢にも思っていませんでした。

もう1つの難関です。当時入っていた独身寮は6階建てで屋上の一部は解放されているし、アンテナ張るにはもってこい・・・のはずなのですが、先客はどこにでもいるものです。アンテナの張れる所にはもうしっかりと張ってありました。その頃の未熟な(今もたいして変わりませんが)私の頭の中にあったアマチュア無線のアンテナは空高く張られた一本のピニール線、いわゆるロングワイヤーとかTVアンテナのオバケみたいなものでした。これじゃまずアンテナから無理だなと開局を完全に諦めたのでした。

FM東京をエアチェックする為の5エレ八木をチョコンとあげるのがせいぜいでした。ここから私のOdysseyはアマチュア無線から一気にこのオーディオの方へと方向転換していきます。



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        ----- episode 3 -----

                           YRUNEWS 1989年2月号 投稿記事

従免は手に入ったものの、即開局できない寂しさはありましたが、持前の分裂症ぎみの気変りの速さと、あきらめの良さと明るい性格と根性の無さで即方向転換。

それから数年はFM番組をエアチェックしたり、ポータブルステレオレコーダを肩に生録としゃれたり、録音演奏会に出かけたり、と我ながらよーやる、と思う事をしながら過していました。

昔から何か作ったり壊したりすることは好きでした。
あまり高度なものは作れなかったのですが、雑誌の記事を見ながら小銭と暇があれば工作を楽しんでいました。まず第1号はボイスチェンジャー。レコード等のステレオ録音ソースの左右チャンネルの音を足したり引いたりして中央に定位するボーカルを消し、代りに自分の声を入れカラオケよろしく歌えるなどというスグレモノです。

昭和40年代も終ろうかという頃、当時はまだうら若き20歳。カラオケ流行のはしりの頃だったかと思います。これまた目立ちたがり精神を発揮して、寮祭の時にこれを持出し、皆の前で恥も外聞も無く歌を披露したこともありました。
この頃はパワーICを使ったメインアンプ、12AX7という球を使った
プリアンプとかをちょこちょこ作っては楽しんでいました。

▲真空管アンプ+バネでエコーをかけようという無謀な製作記事


▲「アイデア回路集」で紹介してあります



 (15〜20年ほど前の記事で現在の事情にそぐわない点があります
  御了承下さい)

 ▲1989年当時のジャンクルーム。ふすまを外して工作台に


 ▲ジャンコロジー発祥の地であるところの机(工作台)
   これも頑丈な木製のジャンク品

電気関係の入門雑誌に「新電気」というのがあります。比較的最近になりますが、この雑誌の連載記事の中に「ジャンコロジー」という言葉がありました。

ジャンク品を使っていろいろとやることみたいですが、私もこれをお勧めします。HAMの方だったらシャックの中にジャンク箱の一つや二つはころがっているのではないかと思います。完成するかしないかは二の次で、半田ごてを手に持ち、あの半田とヤニの溶けたときの煙を吸いながら指先を動かして自作することは楽しいものです。
(指先を動かしていると老化防止にも良いそうですよ。ただし半田のガスは有毒だそうですので、あまり好んで吸わないよーに)

でもちょっとしたセットを作るにもいろいろ部品が必要ですね。ジャンコロジーはまずそこら辺りに何気なく捨ててあるテレビをいただいてくることから始ります。

ちょっとしたパワートランジスタでもまともに買ったら千円以上するのもあるし、こんなのまとめ買いしたら一挙に小遣が飛んでしまいます。......あるわあるわ、壊れたTVセットの中にはいくらでもただで部品がころがっています。

ある時期まで買う部品の方が多くなりますが、作ったセットを分解したりしているとジャンクパーツは増える一方です。ジャンコロジーのおかげで私の部屋の押入れはガラクタで一杯になり、最近はふすまを取っ払う有様です。

そんなこんなで従免だけのペーパーハムの数年が過ぎていきました。




昭和40年代はまだまだ真空管が生きていた時代。
真空管なんて見たこともない、とおっしゃる若者に・・・     ▼いろいろな真空管



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       ----- episode 4 -----

                          YRUNEWS 1989年3月号 投稿記事

昭和53年春、長年住み慣れた独身寮にさよならを告げて、横浜の片田舎でのアパート生活が始まりました。いわゆる「新婚生活」というやつです。
きっかけはよく覚えていませんが、ムセンをしたいナーとこの頃また腹の虫が動き始めました。

思い立ったら吉日、早速秋葉原へ向います。このころCQ誌*1も買って、ハムの世界はどんなかナ?、と一応調べたとは思いますがまるでチンプンカンプン。

店の人に、「初めてなんですが、今一番やりやすいとこお願いします。」「あー、それじゃこれですネー」オーバーシーの夢も何のその、手に入ったのは2メーターFMモービル機*2でした。

その頃でも1エリアの2メーターの世界というものは10KHzセパ運用もQRMも問題外、まるで戦場でしたが無線ってこんなものなんだろうと疑問も湧かずに月日が流れていきました。

その後のワタクシメがOMにどう映ったかは知りませんが、1エリアの2メーターFMのダーティウェイブの中に1つの光明がさし込んできた事は事実だったでしょう……ホンマカイナ。

ただわからないながらにも自分なりにアマチュアとしての運用面その他の技術の向上は目指していたっもりですし、"VLUのメインチャンネル・ストーリー"に書かれるようなみっともないことだけは避けてきたつもりではおりますが・・・Hi

それから大分ローカルエリアだけは1エリアの2メーターFMのようにならないようにしたいものですね。話が少し外れますが、先日こんなお声を聞いてしまいました。
あるYLさん、「すみません、開局したばかりなのでリグの扱い方が分かりません。サブさがしてください」

イモOP、ヘボOP、どこの周波数でもいますが(本人もそうで)一生懸命やっている姿は何と無くユーモラスです。ただ、無線従事者が自局のリグの一般的な扱いもできずにQRVするなんて、もうそこらへんの無変調を故意に出しているヤカラとたいして変わりないナってあきれてしまいました。

本筋に戻って、私のODESSAYは再びコースをハムの世界に戻しました。

次回は6メーター=50MHzの世界を旅することにしましょう。


  
   ▲2mFMモービル機 YAESUのFT227
    一部LEDセグメントの周波数表示が欠けていますが
     2005年現在現役です


注1 CQ誌 CQ出版社発行のHAM専門誌「CQ ham radio」の愛称 http://www.cqpub.co.jp/cqham/
注2 2メーターFMモービル機  「2メーター」は使用する周波数帯を波長で表したもの。1秒間に進む光の距離を周波数で割って計算します。
    2mですから144MHz帯になります。航空や警察無線に使用される周波数帯に近い部分が幅広くアマチュアに開放されています。
   「FM」は電波形式。変調方式を指します。ラジオのFM放送と同じ電波形式です。音質はいいが占める周波数の幅が広いと言う欠点があります。
    これに対しモールスコードのみで通信するCWは無線設備もより簡単になり占有周波数帯域も狭くなります。
    インターネットでいえばFMはブロードバンド、CWは56kモデムを使ったダイヤルアップ接続といったところでしょうか。
    hamの頃はモービル、パソコンになったらモバイルというようになりました。これって何の差?


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        ------ episode 5 -----

                                       YRUNEWS 1989年4月号 投稿記事

一種の部分的な記憶喪失でしょうか…。
開局後約1年で6mバンドにQRV*1した理由を全く覚えておりません。でも6mは私にとってとても懐かしい、温かい想い出のあるバンドです。

昭和56年春、私が大分にQSYしてきたころ、このバンドで声を出してみましたが、ほとんどもぬけのカラでした。現在、平成元年春、いつまでたってももぬけのカラのバンドです。だからローカルではあまりQRVしている人がいないと思いますのでこのバンドをここで少し紹介しておきましょう。

一ロで言って6mはHFと2m、430あたりを混ぜ合わせたような中途半端な性格を持つバンドです。

(1)「CQ、DX」と怒鳴ると海外局を呼ぶことになります。VHF帯で我々凡人が海外局と交信できるのはこのバンドです。サイクル22の真っただ中、10W機+GPでも海外とのQSOが夢ではありません。

(2)大分の片田舎からSSBでCQを連発すると、時と場合によっては大都会からのパイルアップ*2にあいます。2mに比較して長時間安定したEスポ*3により国内遠距離通信が楽しめます。

(3)50〜54MHzと広いバンド幅を持ち、FMでゆったりと混信なしでローカルラグチューを楽しめます。この冬の間たぶん私は大分の6mFMバンドを独占使用しておりました・・・Hi

他バンドでは聞けなくなったAMを愛するOM連中がいるのもこのバンドの特徴だし、今はやりのニューメディアによる通信も行なわれているみたいです。でも、何と言っても面白いのは夏場を中心としたEスポによる国内QSOかと思います。

次回は6mQRV当時に少しタイムスリップしてもう少し6mの世界を旅することに致しましょう。



『0.1KW開局ふんせん記』へひとこと

「6mバンドはいいことずくめ」なんてJAROに言ったろ、という感じの誇大広告がしてあるみたいですが、欠点もある事も書くべきだと思い、筆者に強く言いたくて投稿した次第です。

6mバンドの基本波はTV映像中闇周波数に近く、また高調波スプリアスとして最も強い第2高調波はTV2、3CHの周波数に合致しており、TVIの最も出易いバンドとも言われています。

移動マンが多いことでもうなずけます。これから6mにQRVしようとされている方へ、TVI、その他のIが出ないことをお祈り致します。

それからおてんと様の静かな時期には、はっきり言って、大分ローカルにはひとっ子一人いなくなります。(本当はじっと耳をすまして耐えているOM連中がいる)一人で生きていけない人はQRVをさし控えた方が良いでしょう。
                   以上
                         く匿名希望のRCY>


注1  QRV Qの文字のついた3文字の略語が無線では使用されます。Q符号と呼ばれ国際的な規約です。QRV は「そちらは、用意ができましたか?」「こちらは用意ができました」の意味ですがアマチュア無線では「運用する」という意味で使われます。同様にQSOはアマチュア無線では交信を意味します。QSYという言葉も出てきました。本来は通信する周波数を変更すること、ですがここでは「移動」転じて「引越し」の意味で使われています。
webサイトでも「Q符号」で検索すると結構出てきますので興味のある方はそちらでお調べ下さい。
注2 パイルアップ 例えば珍しい国や島で無線を運用すると1つの局をものすごい数の全世界の国の局が呼び出すようなことが生じます。説明しにくいのですが多くの声が重なりしばらく通信不能のような状態になります。 webサイトでもアクセスが非常に多いサイトにはつながりにくことと同じようなものですか? つくづく思うのですが「チャット(ラグチュー)」があったり「(ブロード)バンド」があったり、時にはマナーの悪い無法者がいたり、有線、無線の違いだけでなんとなく無線もインターネットも同じ「通信」でよく似てるなー、と感じています。 根本的に違うのはアマチュア無線をするには国家試験が課せられることです。
注3 Eスポ スポラディックE層と呼ばれる電離層のこと。電離層は地表面に近いほうから それぞれD層, E層, F層と呼ばれます。それぞれ電波伝搬に深く影響し周波数帯により電離層を突き抜けたり反射したりします。太陽活動とも密接な関係にあるために季節により昼と夜の違いによりその状態は変化します。春から夏にかけての主に昼間に、上空100〜150km付近に厚さ数km程度にわたってこのEスポが突発的に発生することがあります。発生時には通常、電離層を通り抜けるHF・VHF帯(アマチュア無線では28、50、144MHz帯など)の電波が反射されるようになりとくに50、144MHz帯では国内長距離通信が可能になります。TVやFM放送においては近隣の県や国の電波が強く入り、混信・妨害となりますので映像や音声の乱れとなって悪影響を及ぼします。

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          ----- episode 6 -----

                                   YRUNEWS 1989年5月号 投稿記事

昭和54年春。
どうにか2mFMオンリー、というさみしいハム生活から脱出できて6mバンドにQRVできるようになりました。

10年前のこのころの世の中の動きってどんなだったんでしょうね。あんまりよく覚えていませんが先進国首脳会議が東京で開かれ、「サミット」という言葉が流行したころではないかと思います。日本を代表するような方はア〜ウ〜*1ではなく、せめて世界の共通語、英語くらいは流ちょうに話してもらいたいなって感じ始めたのもこの頃だったかなと思います。

何はともあれ、寸暇をおしんでは、ローカルラグチュー*2に、EスポQSOにと6mバンドを楽しんでおりました。

6mCQ第一声の想い出です。リグはその当時としては最高クラスのオールモード固定機です。おもむろにFMメインでCQを出します。少し待ってのコールバック。
な、なんと、うら若きYLさんではありませんか。その時どのくらい鼻の下が伸びていたかは知る由もありません。

彼女のお陰で百数十名のチェックイン局のあるローカルのロールコールがある事を知り、それからはそのメンバー各局とラグチュー、イベント参加、技術的な相談、レクレーションともろもろの行動を共にすることになります。

ところが……なのです。ごく最近、ダンボール箱の中から当時のログ帳やらQSLカードやらがでてきました。手作りのコピー用紙のログ帳の備考欄には今見るとふき出しそうなことがメモってあります。

前述のYLさんもしっかり記録してありました。
でも…でも…でもその前に6m very firstQSOをしたOMが一人しっかり書いてあるのです。
約10年間、6mのバージンQSOの相手は女性とばかり信じこんでいた私の神話はその時音をたててもろくもくずれ去りました。



▲6mローカルラグチュー?時代の若かりし頃 アパート近くの公園にて
足元にあるのは「携帯電話」代わり?の6mのリグ
私の0.1KWへの旅の直接のきっかけはこの6mバンドでのEスポQSOに端を発します。
10WGPでもEスポ時の国内QSOならおつりがくる・・・というのはつながってからのことです。やはりパイルァップともなると強力なアンテナ、ハイパワー局にははっきり言って負けます。

ローカルの上級局が「真空管を10本パラにして50Wでたぞ」何て豪語しながらパイルの中で耳をつんざく声で相手を呼び一発でコールバックがあるのを聞くと、やはりパワーアップ、しかも合法的にカをつけたくなるものです。何かを求めなくなると何の世界でもだめになりそうです。私はパワーを求めることにしました。

いろんな想い出を残しながら、6mバンドでのODYSSEYは続きます。



注1 ア〜ウ〜 大平首相のこと

注2 ローカルラグチュー   ネットでいえばチャットのことでしょうか? まだチャットなる経験がありませんので判りませんが

   おしゃべりです。海外局とのラグチューもありますが近所の仲間内でのたわいの無い会話をローカルラグチューといいます。
    ま、アマチュアですから政治の硬い話をすることはマナー(時には法律)違反ですし話の内容は当事者以外には「たわいない」ことばかりでしょうが。



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          ----- episode 7 -----

                          YRUNEWS 1989年6月号 投稿記事

6メーターバンドにQRV、ローカルにも仲間が増え楽しいハムライフが広がろうとした矢先、「私はこれで、会社を辞めました」というわけではないのですが、上司の娘さんに手を・・・(おっとED.じゃないって)

一身上の都合によりまして、青春の10年を過ごした1エリアに別れを告げ、会社を辞めて大分まで"Jターン"(宮崎までなら"Uターン"になります)することになります。昭和56年、春うららのころのできごとです。

"はさま"にQSYしたころ、オバケみたいな2段GPはローカルにあげてきたので、6メーターのアンテナがありません。

早速、ローテーターとスイスクワッドというアンテナを注文し、ベランダにセットを組みます。パイプを溶接してもらって作ったものですが、我ながらいい設計だナと自負しておりました。コールサインもこちらのをもらい張り切ってON THE AIRとなります。

ところがどっこい、前々回にも書きましたが、あちゃらのつもりでいた6メーターバンドには、はっきり言ってだ一れもいませんでした。(極々少数の方を除きます)

2メーターにも時々出てはいましたが、何となく自分自身にノリが見えません。そのままあえなく局免切れを迎えるような日々が続きます。




▲当時考案したベランダ取り付け金具  ローターで回すほどでもなかった・・・

根気がなくてアキラメが良く、浮気性のこの私、このころからパソコン嬢にお熱をあげるようになりました。ミニコン、マイコンが、前の職場にも導入されはじめ、せっかく覚えた事を忘れないようにしたくて手もとで扱ってみたかったのが動機です。

支払い能力と機能とやりたい事を考え合わせて手に入れたのがS社の"X1"という知る人ぞ知る、その筋の名器?であります。その日から安物の8ビットのパソコンにはとても似つかない言語であるところのフォートランを走らせるべく、日夜努力をするのでした。

パソコン入門には多少、年を食っている感はありましたが、わたしのODYSSEYはまたハムの世界を離れ、パソコンオジサンという暗ーい、ブラックホールヘの道を進みはじめるのです。

次回はデジタルの世界を少し探訪することにしましょう。



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       ----- episode 8 -----
                           YRUNEWS 1989年7月号 投稿記事

「次回は、ハムの世界を離れてデジタルの世界を旅することにしましょう」 なんて前号に書いてしまった後であわててしまいました。何をどう書いていいのか、世界が広すぎて困り果てた次第です。これからパソコンにでも入門しようかなと思っている方は目を通して下さい。

どうも○○コンと縮めて表現するとファミコンとかマザコンとか、あまりいい目で見られていないような言葉を連想されそうですので、予めマイクロコンピューターとか、パーソナルユースのコンピューターを連想していただく様お願いします。

パソコンの世界もハムの世界に似ていてその技術は日進月歩です。どこかのバンドの電話ごっこQSOに相当するような、できあいのゲームを買ってきて、ただ楽しむだけのことから、最先端の人々はプロ、アマの境界が見分けられないくらいハード、ソフト面で高度な世界にいます。私みたいに、高度なものは作れなくてもコチョコチョと機械いじりが好きな者にとっても楽しめる面がある事は同じです。

市販のリグのように最先端の内容を持つようなものは作れませんが、その周辺機器とかの自作を楽しむことができます。電波の出入りロ、アンテナはその代表選手ですが、パソコンの場合も、その周辺装置との情報の出入り口、I/O基板とか、それ以降のものが私程度の技術でも自作可能です。

いろんな身の回りの物理量を測定したり、制御したりして遊べます。コードの付いた鉛筆みたいなものをコンピューターの表示する画面に押しあて、画面がサッと変わるのを昔見たときには、どうなっているんだろうと思っていましたが、自分で作ってみて(もちろん精度はオモチャの域を出ませんが)動いた時の感動は最高でした。

リグも使わなければただの箱、パソコンもそれだけではただのアホな箱。少し違うのはリグは電源を入れて適当にいじれば受信機として何等かの動作をしてくれますがパソコンは電源を入れてもただの箱。

せっぜと命令をしてやらないと、そしてその命令を箱の中身が気に入ってくれないと何もしてくれません。間違ったプログラムでも意に反してそれを忠実に実行してしまいます。

その昔、会社の大型コンピューターをTSSで端末を利用していた時のことです。同じ間違いを何回か繰り返していたら「もう少し勉強しなさい」と英語でコメントが出てきたことがありました。もちろん、プログラマーが入れたものですが、この時は「あーあ、機械にバカにされた」と苦笑したものです。




    
    ▲リグ周辺機器自作例 50MHz 50Wリニアアンプ




    
    ▲8bitパソコンの周辺機器例  I・Oポートの制作

▲当時のシャックとちょっと目立ちたがり精神の出てしまったQSLカード。
 右端にX1-turbo、隣にPC286-Bookが見えます。

▲奥がPC9800、手前がPC286-Bookです。
いづれもフロッピーのみでログを処理するソフトを使っていますが立ち上がりの速さ、マシン語で処理する速さは現在のWindowsとPentium4の組み合わせにも負けていません。 何しろ文字だけですから・・・
ところが何が素晴しいかと言うと、一度理にかなった、自分の目的どうりのプログラムを作れば、電卓で何時間もかかるような計算をほんの一瞬にやってくれたり、いやになるような繰り返しを、これまたほんの一瞬にやってくれます。1、2の規則性を与えてやれば、止めろと言うまで超スピードで処理してくれるのです。

ちなみに現在重宝している市販のプログラムがあります。パソコンログというものですが、これを少し違う使い方をして、整理簿として使っています。これは1万局ある中から指定した局を0.5秒で見つけ出してくれます。

手書きの整理簿で素早く見っける方法は別にして、数千の局がずらっとある中から人間が1つずつ判別しながら探していくとしたら日が暮れることでしょう。

ましてやJCG44002の局でカードはJARL経由で送ったが、まだもらっていない局なんて2つも3つも条件を与えてやったらまず人間なら捜す気にもならないでしょう。それを1秒もかからずに文句も言わないでやってくれます。

あ、しゃべり始めたら止まらなくなりました。また、次回の旅でお会いしましょう。




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       ----- episode 9 -----
                          YRUNEWS 1989年9月号 投稿記事

1つのものが2つの状態をとり得る時、これ1ヶで2つの情報を伝達できます。この状態を電気回路で言えばONかOFF、判り易く1と0で表わし、1と0の状態をとり得る情報単位をビットという言葉で表現します。
1ビットで1と0、2つの情報を伝達できます。
図1を見て下さい。2ビットなら22=4通り、3ビットなら23=8通りです。

8ビットを1つのまとまり、バイトとして扱うマイクロコンピュータをバイトマシンと呼びメモリは8ビットを1つの語、ワードとして取り扱います。8ビットのマイコンでは単純に28=256通りの表現ができることが分かります。

私がパソコンに入門したころ、まだまだその筋の雑誌には「8ビット機の最高峰」なんて表現で8ビット機の新製品が次々に発表されていました。

もう最近ではこれがN社の98シリーズを筆頭に16ビット機をパーソナルユースすることが主流になってきた感があります。
さらにTVのCMでも見られるようにF社のFMタウンズなんかもう32ビット、これがないと家庭崩壊、あのCMはやりすぎです。*1



      

 2進数については「パソコン」→「パソコンなんて食っちまえ」 で少し解説しています。


大きな桁の数(情報)を扱うのにビット数の少ない機種ではプログラムで何回も繰り返して処理をしているので、多くのメモリと時間を費やします。ビット数が大きくなるとそれだけ1回の処理でできるようになり、処理時間は速く、メモリも広くとれるようになります。

W*2あたりの英語のネイティブスピーカの語彙を32ビット機(232=4,294,967,296あってますか?)に例えると、さしずめ15メータバンドでラバースタンプQSOをしている私の語彙はおしゃべり石油ファンヒータとかおしゃべり○○○に使われている4ビット(24=16)のマイコンあたりでしょうか?   Hi

図2を見て下さい。コンデンサCを電池Eで充電後、Cの端子電圧eをRの内部抵抗のテスタで測定した時の波形です。これを仮想10ワード(10ヶの量をメモリできる)、2ビット(22=4通の数値で表現できる)のA-D変換器と、4096ワード、7ビットの現実にあるディジタルメモリという測定器でパソコン処理しようとした図です。

10ワード、2ビットでは何をやっているのか分かりませんね。サンプリング周波数を速くとり(時間のきざみ幅が小さくなる)、ビット数を大きくとる(縦方向の分解能がきめ細かくなる)ことによって、音で言うと原音に近いものを記録処理、保存することができます。

最近のディジタルオーディオ、ビジュアル機器には目を見張るものがあります。20年前、ソニーのポータブル型のモノラルオープンリールのテープレコーダーをおばさんから借りて使っていた事を思い出します。当時はカセットテープさえありませんでした。

ちらっとながめたディジタルの世界、いかがでしたか?
それでは次の旅に出発することにしましょう。
                        Tnx de JI6RCY


*1 この頃のFMタウンズのTV・CMなんて、と書いていますが現在まったく記憶に残っていません。どなたか覚えています?
*2 W  日本はJA、韓国はHL、旧ソ連はU、などとアマチュア無線局のコールサインは国、島などで割振られています。
       区別は純粋な「国」ではなく「カントリー」と呼ばれています。
       アマチュア人口増大により例えば日本の場合にはJH、JD、JE・・・などが割振られていますが代表的な言い方で日本はJAです。
       同じ様にアメリカ合衆国にも多くのコールサインが割振られていますがアメリカを指す場合、Wです

       辻ちゃんと加護ちゃんのユニットのことではありません。
      余談ですがJAでも九州はJA6、などと数字で地域が判るようになっています。ニューヨーク辺りはW2です。
       従ってラグチューの時、「W2に行く時間になりました」などというおやじギャグをとばしているOMもいました・・・とさ



0.1kW The Earth Odyssey     0.1kW開局奮戦記
           ----- episode 10 -----
                           YRUNEWS 1989年11月号 投稿記事

少し前になりますが、EDと共に「第1回YL工作会」なる催しに、お手伝い役として参加することができました。

その会場でOT諸氏のアンテナ、測定機類の自作品もろもろを拝見する機会がありましたが、やはリアマチュア無線の原点であるところの「手作り」の精神は、これからいかに高度な技術が入り込んできたとしても、心にとどめておくべきものであることを、あらためて感じさせられました。

さて、私のODYSSEYは今、ディジタルの世界をさまよっていますが、ハム−ディジタル−手作り、しかもジャンコロジーの感覚が盛り込まれているものを紹介しようと思います。

気持ちが少しでも伝わり、自作の仲間が増えていく何かの一助にでもなればHAPPYです。

さあ、いきなり製作です。壊れたTVセットからとった部品と、ディジタルICを使ったモールス練習器。しっかり3要素が入っていますね(いい加減?)。
500Hz程度の発振音を目標にCの値は決めてありますが、ディジタルIC”7400”以外はそこら辺にころがっている適当な値のもので充分です。

”7400”の売価は1個約50円ですから、他の部品がすぺてジャンク品であるとしたら50円のモールス練習器の出来上がり。いかがですか?

この回路は、他にいろんな音を出したり、矩形波の発振回路の基本になりますので、是非一度は実験をお勧めします。



  
  ▲1989年当時のYL制作会のひとこま 


▲モールス練習器(単なる音発振器)



▲AND回路とOR回路
ここで少しディジタル、1と0の論理回路に迫ってみましょう。
図2のようにAとBのスイッチの接点(入力)をON(1)、OFF(0)させて、ランプ(出力)が点(1〉、滅(O)する事を考えてみましょう。

A、B、Cのとり得る値を表にしたものを真理値表といいます。上の回路ではAとBが共に1でないと出力に1がでてきません。このような回路を”AND回路”といい、A・B=Cと表現します。ちょうど代数計算の積にあたる感じなので”論理積”といいます。

下の回路ではA、Bいずれかが1なら出力に1がでてきます。
このような回路を”OR回路”といい、A+B=Cと表現します。
1+1は1と0しかとりえない世界ですから、2にはなりませんが、和にあたる感じなので”論理和"といいます。

回路上ではオッパイ(失礼)のような(いい形ですね)記号で表します。コンビュータでは昔はリレーの時代もありましたが、実際ではこれがダイオードやトランジスターに置換わります。これがまたいくつか組み合わされたICとなり、さらにLSI、超LSIへと集積化されます。

元々は、こんなダイオードとトランジスターの寄せ集まりですので、コンピューターアレルギーの方でも、こんな風に見ていくと取り付き易くなるのではないでしょうか?


図3のようにスイッチ、リレーとその接点を組み合わせるとまた別の諭理回路になります。

上の回路は入力Cと出力Dは全く論理的には変化しませんが、大きな負荷との接続のインターフェイスとなったり、電源を絶縁したり、いろんな緩衝の役目を持ちますので、バッファーと呼ばれます。

下の回路はリレーのB接点を使用して出力を反転させます。論理的に入力を否定した格好ですので”NOT回路”といい、この働きをする素子を”インバーター”といいます。

ここで取り上げた7400というディジタルICはANDとNOTを組み合わせたNAND回路を4個パックしたICです。記号もまさにオッパイ(またまた失礼〉に近づきました。何故このオッパイがいいのか、この話は次回に・・・


 ▲バッファとインバータ



0.1kW The Earth Odyssey     0.1kW開局奮戦記
        ----- episode 11 -----
                            YRUNEWS 1990年2月号 投稿記事

ディジタルIC、NANDゲート7400なんとも魅力的な記号をしていますがなぜ7400がいいのかというと、これ1種類あればあとは接続の方法によってAND、OR、NOT、NAND、NOR等々あらゆる論理回路を作りだすことができる基本素子であるからです。

これらの論理回賂は種々のフリップフロップ、カウンター、デコーダ、エンコーダー、ラッチ、マルチプレクサ、レジスタ・・・等々、デジタル機器を構成する回路へと種々組みあわされ、発展していきます。

もちろんこれらの回路はそれぞれ素子として市販されており、安定性、大きさ、価格の面で7400を多数使用することはナンセンスにはなりますが、ちょっとした実験ではこれ1つでこと足りますしデジタル回路の初歩を学ぶにはもってこいの素子なのです。

図1のように前号で製作したモールス練習器の発振回路部分は、NAND回路の2つの入力を一緒にして、インバーターとして使用しています。ただ、インバーターの出力を抵抗”R”で入力に戻していますが、実はこれはデジタルICを無理にリニアICとして使用し発振させているわけで若干デジタルの道をそれています。


 ▲基本素子7400の発展例


▲8bitパソコンの発振回路を示すブロック図
しかしながら、この回路は非常に多くデジタル機器に使用されており、不可欠な回路なのです。

コンビューターの中では様々な一連の動作をある基準となる信号に歩調を合わせ、ワンステップずつ処理をしています。
いろんな部分が勝手に動いていたのではたかが足し算しかやっていないコンピュータでも何が何だかわけが解らなくなるからです。

この標準信号は8ビットの普及品でMHz程度、ここで使用した発振回路に水晶を使用しやや高級にした回路がコンピュータにも組み込まれています。

製作記事によくでてくる周波数カウンター、デジタル時計、ストップウォッチ、電子オルガン等々、ほとんどこの回路にお世話になっているはずです。

さて、チラッとのぞいたデジタルの世界、いかがだったでしょうか?昭和62年、例の分裂症ぎみの私の腹の虫はまたなんだか無線をやりたいなー、と再度動き始めました。

周りを見渡せばガラクタの山と、いつの間にか2台になったパソコンと周辺機器。自称、超大作になると思って作り始め、途中金欠病であえなくストップしたパソコンを使ったシミュレータの残骸・・・

ハム関係は?と・・・・・・。
2月2日、晴れてふたたび開局となりました。なにはともあれ、パソコンに深くのめりこむこともなく、チャランポランの性格を反省しつつまたまたハムの世界にカムバックすることになったわけです。

この世界に今度はどえらくコワーイOMがいることも知らずに・・・ゾクッ!



  

  
   ▲まぼろしの大作? Project X 




0.1kW The Earth Odyssey     0.1kW開局奮戦記
          ----- epilogue -----
                            YRUNEWS 1990年3月号 投稿記事

昭和62年2月2日、さあ晴れて2M FM ONLY RADIO AMATUREの開局です。
コールサインはと…
I・・・愛のコール・・・いいですね。
サフィックスはと…R=Resistance抵抗、C=Condenser、いいナー。
Yはと・・・Yはなんかこじつけで・・・あったアドミタンス(何故か記号にYを使っている)、インピーダンスZの逆数だ、なんて自己満足しながらのON THE AIRです。

前号で申しましたように、開局第一声から一週間もたたぬうちにハサマの山岳民族の一人、ポンタさんからコワ〜イ声がかかります。

「YRUに入りませんか?」この一声で私のHAMの人生は一転、前途多難なイバラの道が……じゃないんですよ。やさしいOM連中がいっぱいの、かの県下屈指のアクティブクラブはさま町アマチュア無線クラブに入会することができました。今考えると、ポンタさんの声は天使の声でした(ゴリ、ゴリ、ゴリ・・・)

県の総合防災訓練をはじめ、各種イベント、野外運用と、色々な行事に参加でき、いろんな経験をすることができました。こりゃ個人的にも.腕を磨かなければと、アマチュア精神の基本でもあるところの技術の向上を目指すことを決心しました。

とりあえず何から始めようか?やっばりまずは上級資格をねらうことです。


・大きなアンテナをあげられない……これを少しでもカバーするのは パワーだ

●JARLのメジャーコンテストで59・44・100(or50)といってみたい
●将来HFもやってみたい。聞くところによるとPhoneでは10Wでは物足りなさそうだ

アマチュア精神からチト離れた目立ちたがり精神をかいま見せながら0.1kW開局への思いがマチマチいやムラムラッとわいてきたのでした。

まず手初めは電信級へのチャレンジです。電信級というくらいですからCWを覚えなければなりません。若いころならいざ知らず、年老いすぎた私の場合はToo old to learn new language でまさに新しい言語を覚えるような試練です。

一度26文字を覚えたら、あとは市販の英文テープを何回も聞いて書き取る練習で済むのですが、覚えるまでが大変です。

1日約5文字ずつ・・・といっても何日かたっと前の方を忘れてしまいます。約1ヶ月、老体にムチ打って何とか毎分25字が途中歯抜けしながらでも書き取れる状態になり、試験場へ向かうことができました。

市販テープの典型的な乱れのない音を参考に自分でキーを打って録音し、自分の不得手な部分を繰り返し練習できるようなテープもつくってみました。ちょうどパソコンもあったのでキーを押すとそのモールスコードが発音されるBASICのプログラムを組んで、楽しみながらモールス練習器代わりに使いました。

図の回路はトランジスタ2石でちゃんとスピーカから音の出る練習器で、CQ誌から拝借しました。オールモードのリグがあってCWのモニター音を使える方なら不要ですが、まだリグもなく符号をまず覚える段階の方、よかったら参考にしてください。

キーは将来の為、縦振りのいいやつを1個は買っておいてもよいと思います。

そんなわけで、私の0.1KWへのODBSSEYは最後の道程のスタート地点までやっとたどり着いた感じです。


昭和63年春。何とか海外局とラバースタンプQSOができる程度の設備がそろいました。語学力、設備の面でDX-QSOをゆっくりと楽しむというまでにはまだまだほど遠い存在ではありますが、仕事をリタイアしてからも楽しめる趣味にしていこうと思っています。

どこか小高い山の上にログハウスのシャックがあり、能率の悪い数KW入力の自作のミッターがデーンと置いてある。

ランプの灯の中で、あるいは朝の日差しの中でWやらVKやらと”昔は良かったナー” なんて語り合う。夢のまた夢ですが……。

CWがしたいからではなく、海外の考え方も習慣も異なる見知らぬ人と話す事を夢見てパワーアップするための関門して上級にチャレンジした私ですのでCW愛好家からは邪道だと言われるかも知れませんが、何とかその第一関門を通り抜けることができました。

これから上級を目差す方、是非頑張ってください。受験体験記を書いておきます。試験はいつでも受けられる、たかが遊びの試験じゃないか、と思わず、これにパスしなければ自分はHAMじゃない(事実、入門級ライセンスが一定期間過ぎると免許が無効となる国もあると聞きます)と自分にプレッシャーをかけると自ずと道は開かれるものと思います。

今回でこの投稿シリーズは終わりです。長い間ありがとうございました。
またお目にかかりましょう。
ENJOY DX & HPE CU AGN!!



▲夢に近づいている?
山小屋と夕陽とランプと古〜いリグ、子犬の横には貴女−♪
                         ・・・ないか・・・・

残念ながらここ数年パソコンにのめり込んでいて
アマチュア無線からは遠ざかってます




《電信級受験記》

市販テープで練習しましたが、はっきり言ってまだ1分間のうち、2〜3文字が必ずといってよい程歯抜けします。ま、何とかなるわと開き直っていざ出陣です。

余裕でしょうか、アソの急坂を下り終わったころからCQを出します。な、何と第一声でYL2局のドパイル?  相手方は双方知っていたようでお互いに「貴女からど一ぞ」…。自称ミス『いさはや』からQSO開始。やー、とてもミスとは思えないロぶりでしたが、試験前の憂うつさからは解放された気分でした。

電信級の受験に行くところだと言うといといきなり「それじゃトツートト、トト、ツーですね」と言われて、ドキッ。自分のコールサインを言ってきた訳ですがLだけとれて推測、「ハハハ…そうですねー」と口を濁した私でした。

会場では学科と通信術、それに通信術だけ受ける組に列が分かれていましたが、あとは自由席。部屋に音が反響して聞きにくい事がある、なんて物の本に書いてあったからなるべく前に座ります。一連の試験上の注意があってまず耳慣らしをさせてくれます。A〜Zまでブザーのような、ま、800ヘルツ程度と言われればそのような音がモノラルラジカセから流れてきます。

そのあとに本番。非常に短い1分でした。
書き直す時間的余裕はまずありません。すぐに提出して終わり。あとで読み返したら「THEINFOMATION……」
という問題のようでした。普段と同じで2〜3文字は歯抜けしていたのは自分でも分かりました。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


《2.アマ受験記》

私が受験したころは送信術がなくなり、すべて択一式になる直前だったかと思います。期日も2日間あり、とても2日連続して有給休暇がとれそうもなかったので、まず通信術のほうを受けることにしました。

練習法はやはり市販のテープを聞くのみです。こちらも試験当日でもかなり歯抜けがあり、あまり自信はありませんでした。特に弱点は長い符号のあとの短い符号、例えばLETTERなんていう単語のLのあとのETTがサッと歯抜けしてしまいます。

この日も異国のお空で豊後の国の某YLの方の声を聞き、いきなり呼び出しQSO。試験前に心が和んだことは言うまでもありません。試験場では送信術もある為、各人、自分のキーと練習器を持ってきており、あちこちで小さな音でツーツートツー・・・
という音がします。ゲー速えなー、あれじゃ100文字/分だよ。

なんて、キーも持ってきていない(人に見せられるようなキーを実は持っていない)当方はションボリ。さていよいよ受信の試験が始まります。これは全く電信級と同じ。ただ、2分が長かったこと、1文字書く時間のなんと短かったこと。あとで読み返しても自分の書いた文が読めませんでした。

次は狭い控え室で送信術の順番待ちです。先に受けた人から情報が入ります。本文の前に自分の受験番号と名前を打つ事・・・ドキッ、数字は練習していない!いきなりあせって自分の番号を空で覚える私でした。

何列か席があって次々に空いていく席に座ります。試験官が1対1でとなりに座っています。「練習してもかまいませんよ」とは言われたものの、キーの持ち方だって本でうろ覚えしただけの私、ボロが出るといけないから「あ、いいです」と余裕のある振りをしたのでした。

45文字/分はかなり遅く打てばいいものだと自分に言い聞かせ、ゆっくり間違わない様に打ちます。1ヶ所短点の接触がおかしいな、と感じたのでHH。隣の試験官の手がさっと動くのが感じられます。たぶん試験官の手の気配が一度だったので恐らく送信はOK、あとは受信の結果だなと思いました。

《そして……》

特に自信のなかったCWの科目合格通知が届いた時は最高にHAPPYでした。学科もこのころはすべて記述式だったので試験官をごまかす手口は心得た私、あることないこと書きまくって無事合格。晴れて新しい従免を手に入れる事ができました。

移動局変更申請(立ち会い、証明人が必要で初級局の時より厳しい。ほんとは許可されそうもないリグを使っても申請が楽なのは初級局の方であり、逆と私は思うのですが)の際にお手数をかけたJH6BCE小島さん、2メーターバンドの下の方で、下手なCWの練習に付き合っていただいた各局、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
                                                           〔TNX DE JI6RCY]


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