免許資料と写真で見る私のHAM遍歴 


免状資料と写真で見るHAM遍歴          2004年6月 First_UPLoad

1972年(昭和47年)

---黎明期---

就職2年目
休みを取って電話級の受験へ・・・
社会人初の「資格」?試験挑戦

無事合格


1972年(昭和47年)

電話級アマチュア無線技士の免状
この頃はまだ「郵政大臣」の免許
何だかありがたいような

それにしてもわ、若い
ケ、毛もいっぱいある

FT-227
当時ではなく現在の状態です。
現役です。

1978年(昭和53年)

会社の独身寮を出たのをきっかけについに「開局」を決心。でも大きなHFアンテナを上げるのは夢のまた夢だった。

秋葉原の某無線ショップに出かけ「今一番簡単にできるのは?」って聞いたら2mのFMモービル機を出されたので即決定。

出されたのはFT-227。メモリー1ch搭載!の最新機種だった。当時はまだ水晶を差換えて使用するリグも健在な中、ロータリーエンコーダで周波数がつまみひとつクルクル回せば選局できたすぐれもの?

コールサインはJL1IFK。JAのあと都会ではJHなるものになっていたのは風のうわさに聞いていたが世の中こんなに進んでいたのか、とあ然。
当時の2mOnlyのシャック?

車は渋い・・・渋すぎる
6m_firstQSOの彼女と偶然のツーショット

ローカルのFoxHunting大会にて

無線機に注目
たぶんNationalのRJX-601

どなたかFT-625Dの写真の掲載、許してもらえる方いませんか?
1979年(昭和54年)

2mは混信との闘い。しかもモービル運用。よくよく事故を起さなかったものだと我ながら感心する








この都会でもっとゆっくりできるバンドはないものかと思っていたら6mなるものがあることを知った。

さっそくFT-625Dなる6mオールモード機を購入。増設変更をおこなった。

CQを連発していたら1stQSOに地元の可愛い女の子に声をかけられ近くに「ツルミ・ローカル」なるグループを発見!

さっそく一員に入れてもらい、夜な夜なローカル局とのラグチューが始る。

 結構親しくしていただきいろんな活動に参加させてもらい、経験と知識を蓄積させていただいた。

ただし「ラグチュー」という安易な道を知った私は「ニューカマー」の域を脱することはなかった。


1981年(昭和56年)

一身上の都合により九州・大分にQSY
新しい人生(大げさ)が始る

常置場所の変更届を出す。コールサインもJF6CMM・・・うーん悪くない。ところが返ってきたのは2mOnly。

どうしたことかと問合せるが「コンピュータに入ってない」の一点張り。さすがお役所仕事。

俺は今まで6mは「アンカバ」だったのか?

1982年(昭和57年)

変更申請で6mを追加。
しかしながら無線をする余裕も無く、6mの静けさにも飽きてきてしばらくして閉局。

8ビットのマイコンを買ったせいもあるがこの頃からパソコンの虫が多少騒いできたようだ。


1987年(昭和62年)

人生2度目の転機到来!
詳しくは尋ねないで下さい。

よーし遊ぶぞ!ってことで無線復活!
とりあえず開局。コールサインはJI6RCY
愛のコールに抵抗、コンデンサ、インピーダンスの逆数・・・ま、いいか










---転換期---

ただしこれまでのラグチューでは済ませない!こうなったら100W出せるまで頑張るぞ、ってことで一念発起。とりあえず電信級に挑戦。

この年から新しいものを始めるには多少難があったがとりあえず合格。

試験場では1000Hz程度であるはずのCWの音がブザーの音に聞えて、なんじゃこら。多少とまどってしまった。だだEとTにだけには聞えなくてわたしにはほどよく丁度よいスピードでありました。

従免の写真はにやけているのでモザイク

何故にやけてたかって?フフフ
何しろこの頃は1番楽しかった
1987年(昭和62年)

さっそくA1の追加変更申請実施。
後になって非常に後悔するのですが2mにCWを追加変更とともに6mのリグを手放してしまった。

理由はあんまりローカルに局がいなかったことと集合住宅であったがためにNHKへのTVIを恐れたこと。嗚呼、FT-625Dよ、何処へ
1987年(昭和62年)

電信級合格後すぐに2アマに挑戦

まずCWができないことには始らず実技のみ受験。教材テープを買ったり自分で吹き込んで一生懸命に練習。この頃はまだ送信の科目も。

ただ数字は出ない、との情報があったのでほとんど数字の受信はNG。

受信問題は電信級と違い文章になっているので何とかごまかしクリアしたような気が・・・

送信の時、「まず、受験番号を打って下さい」にはまいった。まったく予測していなかった。受信はできないが数字だけは覚えていたのでかろうじてクリア。

受信はできなくても送信は何とかできるので1回HH(訂正)を使用したくらいで終了した。

結果は「科目合格」・・・やったー、何とかごまかした
1988年(昭和63年)

次の年に2アマ筆記に挑戦。

この頃はまだ択一式ではなく記述式問題もあった。。記述式はあることないこと書けるので得意である。無事合格。やったね。

CWのできない2アマ誕生!
1988年(昭和63年)

念願のHF機増設

2アマ合格を待たずにまずHF機増設に踏みきった。電信級でほぼオールバンド開局



▼6mリニアアンプ
1988年(昭和63年)

2アマ従免GET!
50W開局

6月には従事者免許状も届き、即50W変更申請を提出した。
























その時の工事設計書
第3送信機に注目

本体はTS-680V、リニア基板を交換しHF帯は確実に50W仕様だ。ところが
な、なんと50MHz帯リニアが自作になっている。本当に50W出ていたのかはヒ・ミ・ツ。・・・Hi

、OverPowerよりましだろう



最盛期のシャック

この頃はアパマンハム。
建屋と建屋の間に張った21、7MHzのフルサイズダイポールは圧巻!?よく飛びました。

9R59Dとキーボード脇の電鍵はダミー・・・・?
WAC
Worked All Continents

1990年にget
HFを普通にやっていれば初心者でも比較的簡単に手に入れることができるアワード。
でも発行者の署名を見るとありがたい気に・・・
1990年(平成2年)

余裕の頃

世の中「無線」ブームだ。携帯電話の普及もまだの頃、手軽に連絡を取れるアマチュア無線に人気が集り、2mバンドを中心にHAM人口は膨らんだ。

2mでのラクチューに遊び心でパケットを試し、FMでCWの音を流せるように附属装置増設の変更も実施した。

第5送信機に注目!
え?真空管?

この頃9R-59DとTX-88Dを30kでGET。
正常な通信はできなかったが実験するつもりで変更申請、許可がしっかり下りたのです。6mリニアはトランジスタ、こんな送信機あり得る?



いろんなコンテストやアワード(もちろん手軽なもの)にも挑戦した。
HAM関連の様々な催しも開催され私のHAM人生の中で最盛期だったような気もする。



こちらはCQHamRadio誌発行のアワード

他のコンテスト、アワード、当時のCQ誌との関わりはまた別のページで



2001年(平成13年)

安定期

サイクル20の最盛期を過ぎ、サイクル21も通過。携帯電話なるものが一世を風靡して2m辺りから一斉に人がいなくなった。

バブル崩壊とともに30年前の安定期にHAMの世界も逆戻りした。

私の時間もパソコンに多くの時間が費やされるようになりHAMの時間は静かに通り過ぎている。

何回目かの移動局の再免許。今回はFD(フロッピーディスク)による再免許申請にトライしてみた。

FDで送付できるのは「無線局事項書、工事設計書」と「添付図面」

申請書本体には収入印紙が必要のため現時点ではハードコピーが必要だ。

添付図面は一応ワードファイルで作成したがハードコピーも添付して送付した。書類が送り返してこなかったのであれでよかったのかな?

2004年(平成16年)6月
         1stUpLoad時期
総務省をはじめとする各省庁への各種申請等がNet経由で可能になった。HAMも同様。

今後急速に簡素化されていくかも知れない。無線なんかやってられない!

電子認証にtrytrytry!!!

おいおいまたパソコンかよ




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